フリクションマーカー(最近使ってる文房具)
「フリクション」と聞くと、多くの方が「ボールペン」を想像すると思う。
つい先日まで私もその一人でした。
そんな中、会社の先輩が「フリクションマーカー」を使っていた。
使い勝手がよさそうだったので、すぐ買った。
ここでは「フリクションマーカー」のレビューをしてみようと思う。
1.使用感について(すごく使いやすい)
結論から述べると、「すごく使い勝手がいいマーカー」である。
まず、従来のマーカーの良さについて振り返る。
マーカーの良さは、塗った下地に文字が書かれていても、色につぶされることなく文字がはっきり見える事だ。
私の場合、設計図面に色を書き足しても、図面を読むことができるのはうれしい。
薄い色で広い面積を塗れるのはマーカーの強みだ。
次に、従来のマーカーの不便さについて振り返る。
まず、塗った色を変更できない点だ。
たくさんのページ数のある教科書や法令集にマーカーを引く際は、慎重にならなければいけない。
色の変更ができないからだ。
つまり、色を消すこともできない。
「あ、間違えた」が命取りになるのだ。
そして、フリクションマーカーの良さを語ろう。
やはり、色を消して、違う色で書き直せるのは便利だ。
話し合いや、打ち合わせ中にも気軽にマーカーを引くことができる。
「もしかしたら色が消えちゃうんじゃ」というフリクション特有の難点も、コピーやスキャンをとればそう不安になることもない。
従来のように使えるマーカーで、かつ色の変更ができる「フリクションマーカー」はすごく便利だった。
2.色は6色あれば十分
じゃあ何色そろえれば使い勝手がいいのだろうか。
それは6色である。
3本セットのフリクションマーカーを、色の濃淡で2パターン買うことを強くお勧めする。
5色セットは過剰だと思う。
PILOTのマーカーは「ピンク」「黄色」「緑」の3色を、濃い色と薄い色で分けて販売している。
この2つを買えば、マーカーを使うときに使い分けがしやすいので便利だ。
具体例:平面図で断熱範囲を検討する場合
濃いピンク→壁の断熱材(厚さ60㎜)
薄いピンク→壁の断熱材(厚さ15㎜)
濃い黄色→梁の断熱材(厚さ60㎜)
薄い黄色→梁の断熱材(厚さ15㎜)
赤ボールペン→メモ書き
実際に打ち合わせがすごくスムーズだったので共有しておく。
マーカーと一緒に赤のボールペンで字を書くと、メモもわかりやすく見えてよかった。
3.値段も安い、試しに2本買うのがおすすめ
このマーカー、一本約100円と良心的な値段のマーカーである。
同じような色で濃い薄いで分けた2本のペンを買ってみると使い勝手がわかるだろう。
とりあえずAmazonのリンクを貼っておく。
4.【まとめ】比較や検討する時に輝くマーカー
結局、マーカーの色を書き直せると便利な場面は、マーカーを引きながら考え事をする時だと思う。
何かを比較したり分類して選ぶ場面は使いやすいと思う。
従来のように勉強に使ってもいいし、チームで何かを検討する際に使ってみてはいかがだろうか。
おわり。
街の書店(あったらいいなと思うもの)
ゆるい記事を書きたくなった。
そこで、あったらいいなと思うものについて書いてみようと思う。
「ドラえもん、何とかしてよ~」という気分で書いているので、読んでる方々には気軽に楽しんでもらえたらと思う。
よろしくお願いします。
- 1.徒歩圏内の距離にある小さな書店(営業時間5:00~21:00)
- 2.図書館や大型書店には無い良さが欲しい
- 3.そういう書店は少し前までは普通にあった(?)
- 4.【まとめ】本は手に取り、人とつながる面白さがあるはずだ
1.徒歩圏内の距離にある小さな書店(営業時間5:00~21:00)
今時そんな建物が地方の住宅街に乱立しているとは到底思えない。
しかし、このような存在は必要不可欠なのでは、と思う。
ここで私が「あったらいいな」とおもう要素を挙げてみようと思う。
・立読み可能(店主は黙認)
・レンタル可能(安くできる)
・店主が長いこと店番を続けている(客の顔を覚えている)
・中はそこまで広くない
・蔵書は多くないが、店主が選んだ本が並んでいる
・店主が客に本をお勧めできる
・座れる場所はない(店いっぱいに本棚があるイメージ)
・最低限学校で必要になりそうな文房具とか売っている
・店主の性格が、客が読んだ本について話してくれるのを聞くのが好きな性格
と、こんな感じだろうか。
ここからは私が何を意識したのかについて書いてみようと思う。
2.図書館や大型書店には無い良さが欲しい
具体的にはこんな感じだ。
・家から近い
・町ごとに書店の特色がある
・本の管理が厳しくない
・店員と気軽に話せる
・人と人が本でつながる、本で救われる効果を最大限に活かしたい
・雑念(喫茶店や居座る人の存在)が無い
・読んだ本について話せる人がいる
・地域からの根強い人気があってほしい
これらをうまくまとめることはできないが、私は「現代」に「人との距離感が近い書店」があったら絶対面白いのにな、と思っている。
3.そういう書店は少し前までは普通にあった(?)
親の世代、祖父母の時代まで遡ると、街の本屋さんというのは意外と多いものだったらしい。
しかし当時はインターネットもなければ運送技術も未発達。
本に対する利便性だけが残ったのが当時の街の本屋さんだったんじゃないかと予想する。
さて、インターネットや運送技術、さらにはたくさん本を製造する技術が発達した現代において、そんな本屋さんは見られるだろうか。
私はただ見てみたいだけなのかもしれない。
今の技術でそんな書店が経営されれば、もっと楽しい生活が過ごせるんじゃないかと思う。
そこには利便性はないが、本が持つ可能性がある。
人は本に知識を求めるケースと、救いを求めるケースがあると考えているが、つらい時ほど本に求めるのは救いだろう。
本をあまり読まない方には信じてもらえないかもしれないが、本を読んで救われることはある。
人が曲を聴いて救われる感覚に近いかもしれない。
それくらい普通なことなのに、音楽は聴きやすい世の中なのに、未だ本は読みづらさが残っているように感じる。
4.【まとめ】本は手に取り、人とつながる面白さがあるはずだ
アマゾン等のおかげで、購入の利便さは語るまでもない。
電子書籍もあるので、価格が下がって買いやすくなった事実もあるだろう。
しかし、このような体制には限度があると考える。
それだけでは本の魅力は人に通じない。
本の大きさについて考えたことはあるだろうか。
大きくて分厚い本を見ただけで、私はワクワクしてしまう。
本の装丁について気にしたことはあるだろうか。
手に取って、普通の文庫本と違うだけで「なんだこの本は」と楽しくなってしまうものである。
人が本について語っている時間を体験したことはあるか。
友人が「この本面白いよ」と話してくれる時間はとても素敵ではないだろうか。
友達なんているか、と思った方かつ、建築に携わる方には、ぜひ雑誌「新建築」のコラム「建築家のライブラリー」を読んでいただきたい。
これで少しでも楽しいと思えたら、それが本のもつ魅力の一部分であることを知ってほしい。
本による生活へのアプローチはまだまだ発展の余地があると思う。
そこで私は改めて問いたい。
今の時代、「街の書店」がたくさんあったらすごいことにならないか?
怪獣になる覚悟
世の中にはいろんな人がいる。
その中でも、文化的な仕事をしている人ほど自分のための生活時間が少ない、と聞いたことがある。
一方でこんな曲を聴いたことがある。「怪獣/PEOPLE1」だ。
この曲は作曲者の「怪獣になる覚悟」を歌ったものである。
私も怪獣にならないといけないのかもしれない。
そう思ったのである。
おわり。
・・・とここで記事を打つ手を止めても良いが、このままだと自分の考え方がちゃんと残せてないし、読んでる人が「よくわからない」となること間違いなしである。
ここでは、建築という職に就いた私が得た知識と、PEOPLE1のインタビュー記事を読んで得た知識を基に整理した考えをまとめようと思う。
興味ある人は少ないだろうが、少しでも興味をもったなら最後まで見ていってほしい。
1.歴史ある職能、存在し続ける職能
私が勝手に尊敬している一人に「手塚 貴晴」さんがいる。
学生の時に、彼の「建築を学ぶ学生達へ」という記事を読んだ。
その記事の内容は「建築はお金を稼げる職ではないが、人類の存在そのものに関わる大切な仕事な事を知ってほしい」というものだ。
そこで書かれている「似たような職能にシェフというものがある・・・」の文がとても印象深い。
そこで書かれていたことは以下の通りである。
建築家も大変な職業だと思うが、シェフはもっと大変な職業である。私生活というものがない。有名な人ほど無茶な生活をしている。
夜中12時まで働き朝4時起床。(有名な)シェフは毎朝夜明けに野山を歩き回って山菜を一人で摘んでいる。
どうして体を壊さないのか不思議である。しかし辞めない。
部分部分抜粋した。
こういう人たちは他人より余計に頑張る事で報酬を得ている。
お金ではなく、別の形の報酬で幸せになっている、という。
振り返って、当時記事を見た時の思いと、今記事を見た時の思いが全然違うことに気付く。
私は前よりも、この記事に対して本気で考えれるようになっている。
これは小説で出てくるような夢物語などではない。
次は自分の番だ。
そんな感じに思えるのだ。
皆さんはどうだろうか?
2.覚悟の歌「怪獣」
「音楽ナタリー」のweb記事で、PEOPLE1の1stアルバム発売時のインタビュー記事をこの前見つけた。
ここでは主に、作詞家のDeu(ドイ)さんが自分たちの活動に対する思いをしゃべっている。
この記事は読んでてすごく興奮した。
簡単にまとめると、以下の通りである。
「正直、注目されたくなかった。売れたくなかった。」
「ぬるま湯のように狭い部屋でのんびりと活動を続けたかった。」
「3人でわちゃわちゃしている瞬間が一番美しいが、ぬるま湯を出ないといけなくなった」
Deuさんはとある曲の作成時に覚悟を決めたらしい。
それは、「ゆっくり」から「忙しい」へ、
「わちゃわちゃな瞬間」から「苦しい日々」へ。
そういった覚悟を決めた曲が「怪獣」だ。
特徴的で個人的に好きな歌詞を抜粋する。
「さあさあ怪獣にならなくちゃ、等身大じゃ殺されちゃう」
「でもでも怪獣にならなくちゃ、誰よりも優しいやつ」
「全然好きじゃないことも 本当は思ってないことも 君のためなら歌えるよ これからの僕は」
「次の時代のページを捲って 僕が新しい僕を纏えば このくだらない自分語りも抜け殻になるだろう」
「でもあんまり悲観しないでね そのために始めたんだ」
「ああまだ 夜が生ぬるいや」
多すぎた。しかし、どれも一言一言に重みがある。
それだけではない、この曲からは前に挙げたような職能の人たちの覚悟が垣間見えたのだ。
音楽家も、人類と同じくらいの歴史がある職能だ。
3.【まとめ】ぬるま湯から出る覚悟(普遍的な話)
正直、まとめるほどでもないと思う。
個人的な意見としては、建築のような職能で生きていく以上こういう覚悟は必須だということである。
ちなみに先に挙げた2つの記事は、自分の時間の使い方を考えるきっかけになった大切な記事である。
皆さんがこの記事を読んで、新しく何かを考えるきっかけになったのなら幸いである。
おわり。
【コロナ 有料記事 なぜ】コロナのニュースとweb新聞の有料記事
日本では最近コロナ陽性反応者が増えてますよね。
この話題に触れる際は情報発信に極めて慎重にならなければいけないが、今回記事に書くことは事実に基づく内容に努めようと思う。
今回は感染症とインターネットに対する不明瞭さについて書いていこうと思う。
よろしくお願いします。
- 1.いまだに感染経路が不明瞭な感染症
- 2.誰もが知るべき情報が有料なのは適切なのか
- 3.ページを飛ばし飛ばしにされる苦痛
- 4.実験結果に辿りついた時のの虚しさ
- 5.【まとめ】正しい情報って存在するのかな
1.いまだに感染経路が不明瞭な感染症
ところで、なぜマスクを付けなければいけないのでしょうか。
国に言われたから、なんて答えられないこの質問に、正確に答えられる人はきっと少ないだろう。
なぜなら、感染経路はパンデミック当時と今とでは言われていることが全然違うからだ。
マスクを付けることはただではない。お金もかかるし、体力も使う。
マスクを付けながら頭を使うのは、正直くらくらする。
国はマスクを付けなくてもいい子どもの年齢を定めている。
何歳までは~と謳っているが、大人子ども関係なく、命を削るような感覚にさせるのはやめてほしい。
そもそもマスクを付けていたら感染しないのなら、このような感染者数や第7波とかいう阿保らしい記録は残さないだろう。
感染経路に至っては、接触感染、飛沫感染、エアロゾル感染の3つのうち、エアロゾル感染が有力だと言われているが、コロナパンデミック初期は空気感染だと言われていたし、エアロゾル感染も有力なだけで確定はしていない。
WHOは感染症について、国ごとで比較できない、国民が国の統治に基づいてやることが大切だと言っている。
なるほど納得だ。こんなよくわからない感染症に対して世界は責任もって答えを言えないから投げやりになったのだろう。(もちろん冗談です)
そうじゃなかったとしても、じゃあ我が国ではちゃんと感染症に対して対策できているのだろうか。
自分が住む国を信じていいのだろうか。
そう思って最新の情報を得るべくパソコンで「コロナ 感染経路」とか調べていた。
最近の情報機器は便利で、新聞社が出してる最新のニュースが調べたら出てくる。
便利だが、次に話すように有料記事がほとんどだったため、苛立ちを覚えた次第である。
2.誰もが知るべき情報が有料なのは適切なのか
コロナに対する国の考え方のニュースが調べたら出てきた。
これは国民としてはちゃんと読んでおきたいと思って、web新聞のサイトを開くのだが、有料記事で最後まで読むことができなかった。
たしか、2000字弱ある内容のうち600字程度しか見れなかったと思う。
このニュースの内容が経済関連なら話は別だ。
考え方がそもそも違うし、そういうニュースはお金を払ってでも見たい人は一定数入る。
新聞社の利益の事も考えたら納得はいくのだが・・・
コロナのニュースに関してはまた別ではないか???
おかしな話だ。
国は感染対策を国民に求めているのに、コロナに関わる情報を有料化している。
私はブルジョアなんかではないので、わざわざその情報を得るためにお金を払う気にはなれない。
そもそも、こういう体制が、国民のコロナウイルスへの関心の低下を招いているようで悲しくなってくる。
ここまで騒動になるくらいなら、ちゃんと何が危険なのか、どんなデータや実験が行われて、国の偉い人が議論しているのか包み隠さず教えてほしい。
まだある。これが一番の苛立ちの原因なのだが、先ほどこんなことを調べてみた。
「コロナ 有料記事 なぜ」
何もヒットしない。これが事実である。
直近のもので2016年のヤフーの記事。
最近有料記事が増えている、という記事だった。
他はすべて的外れで、この事に疑問をもった記事が見つからなかった。
今回、このタイトルにしたのはそういう経緯だ。
このことについては誰かが訴えなければいけない。
なので私はこのおかしな体制に文句をつけてやろうと思ったわけだ。
頼むから、この考え無しに思える有料化に対して、正当な理由があってほしいものである。
3.ページを飛ばし飛ばしにされる苦痛
先ほどWHOのことについて触れた。
そこでもいろんな情報を見ることができるので是非みてほしい。
損にはならない、と思う。
例えば、先ほど挙げた「国ごとの指示に従うような行動が推奨される」的なことが書かれてあったりする。
他には、ワクチンを打つことを推奨した情報が挙げられているが、その情報の根拠はどこにあるのか。
これを見つけるのにはとても苦労する。
例えば、このワクチンは記録的な速度で認められて、健康が保証されている、などが書かれているわけだが、
何を認められたワクチンなのか。保証された健康とは何なのか。
私はよくわからなかった。
医学の道に進まなかったことを後悔している。
専門知識があれば納得できるのだろうか。
情報源を探そうとすると何度もページを移動させられる。
ろくな実験結果なんて、見つけることさえ難しい。
世の中、ほんとに嘘でまみれている。
私の親はこの前、「コロナを予防できる」サプリを買って、まだ小学生になっていない妹にサプリを飲ませていたが、正直私は危険だと思った。
次に書くのは、その「コロナを予防できる」サプリについてである。
4.実験結果に辿りついた時のの虚しさ
「コロナを予防できる」サプリを親がもってきた。
話を聞くと、どうやらコロナを予防できるが、薬ではなくサプリメントなので安心らしい。
ふざけた話だと思って、情報源について親に聞いてみる。
親は私に情報源について聞かれてから、それらしいサイトを引っ張ってきた。
はぁ、と思った。
目を通すが、やはりはっきりとしたことは書かれていなかった。
頑張って、そのサプリを使った某大学の臨床実験の結果を見ることができた。
なんで調べるのに一苦労しないといけないのか。
まあ、家族が変なもの飲んでるのも黙ってみてられないので調べたわけだが。
実験結果には残酷な事実が書いてあった。
「被験者は40代中心」
「サプリの摂取日摂取に症例改善の違いはない」
「副反応は想定できる範囲内で食欲不振や嘔吐があった」
これって危ないのでは、と思った。
この情報源を親に共有し、子どもの年代との関連性ないんじゃないか、無理に飲ませなくてもいいんじゃないかと聞いてみた。
しかし返事は「了解しました!」だった。
なんというか、建設的じゃない。
せめて、この情報は信頼できるかとか、どう思ったか聞きたかった。
また私は、はあ、と思ったのである。
こんな人は意外とたくさんいるのだろうか。
ちなみに小さい子は味覚が発達していない。
こんな変なサプリメントでも「おいしいよ」と言いながら口にする。
親にかわいがってもらう為の子ども特有の態度だと思うが、親である以上、それを真に受けてはいけない、と思う。
正直、親は親の苦労があるので、あまり責めたくない。
どちらかというと、いつもお疲れ様です、と言いたいのが本音だ。
大きな子どもは大抵親にたいしてそう思っている。
5.【まとめ】正しい情報って存在するのかな
私は、情報は情報である限り正しさは保証できない可能性に気付いた。
例えばだが、正しい色を見つけるのは難しい。
実物の色と画面の色にはやはり違いがある。
色見本を見て「これがいい」と思った色が、実際に大きな面積で出てくると印象が全然違った、という話も耳にする。
他にもいろんなことに言えるんじゃないか。
基準がわからない感覚の文字表現や、色が加工された写真、時間がたてばほんとになる話やウソになる話だってあるはずだ。
それでも、なるべく正しい情報を取捨選択していかないと世の中生きていけない。
大事なのは、選択した情報を見返した時に「何が誤っていたのか」を判断できることだと思う。
正直、私が一日一つ記事を作成していることは間違いかもしれないと思ってる。
嘘を発信してしまっているんじゃないかとも考えてしまう。
それでも、やはり見返せることは大切だ。
振り返ることが生きやすくなるための事だと思う。
20歳の戯言だけどね。
おわり。
【サウナ】風呂上りのご飯について検討したい(2回目)
皆様、サウナっていいですよね!
私、お盆休み最終日にサウナで気持ちよくなってから仕事を再開したら絶対心持が良いと確信し、本日午後銭湯に行ってきたわけであります。
なんでも場所は遠いけど無料回数券が使えるとのことなので、さっそく使って楽しんでいきたいですね~
1.下調べしたけど、今回もダメだったよ
実は、前回銭湯を目指した時、私はある失敗をしています。
それは定休日です。
今回向かう銭湯は本当にやっているのだろうか、そう思った私は事前に下調べをすることにしました。
なんと!定休日を回避しているではありませんか!
これは安心だ!
そんな心持ちで当日を迎えたのですが、なかなかどうして上手くいかない・・・
1時間ほど車を走らせて駐車場についた時、看板に書いてあったのは【臨時休業】
正直泣きそうになった。
友達を連れてきていたので、また長い時間運転に付き合ってもらわなければならない。
仕方がないが、ちゃんと営業してそうなところを選んで別の銭湯に行くことにした。
2.またやってきた【おっきな駐車場の銭湯】
以前、初めてサウナを体験したことを記事に書いた。
その時も利用した、おっきな駐車場の銭湯にまた来ることにした。
安心と信頼の実績があるのはありがたい。
ここでサウナに入ることにした(今回は6分、個人的にはちょうどいい時間かもしれない)。
銭湯を出るころには時刻は19時、友達と「夜ごはん何食べる?」と話し合う。
しかしなかなか決まらなかったのだ・・・
3.【本題】風呂上り、夜ごはん時、何食べる?
皆さんは風呂上り食べたいものはありますか?
この問いに具体的に答えれる人はなかなかいないと思う。
少なくとも私の周りの3人は「どこでもいいかな」という感じだった。
こんな状況は多くの人が体験したことがあると思うが、これの解決方法は世に広まっていないと思うので考えてみようと思う。
まず、食事を選ぶ際に何を考えればよいのかをはっきりさせたほうが良い。
それは自分が食べたいものでしょうか。
それを考えるのも良いが、この場合欠点がある。
それは、自分もどこでもいいという意見を持っていた場合である。
私も今回そんな感じだったので、次に別の考える基準を模索する。
私は食べ物の量について考えた。
風呂を上がった後、人はあまりお腹は空いていないのかもしれない。
事実、私は風呂上がりの時点であまりお腹が減っていなかった。
家系のラーメンとかは匂いも強いし、お腹に重たいので、却下した方がいいかもしれない。
こういう考え方なら何を食べるべきか答えが見つかる気がした。
親子丼に味噌汁を付けたら、胃に優しいかも。
米と、しつこくない量の蛋白質、添えられた野菜があれば満足できそうだ。
これが満たせれる場所ならいいんじゃないかと思い、友達内に共有する。
「親子丼とか、丼ものの場所がいいかも、米食べたいよね」
的なことを言った。
私の頭の中には大手牛丼チェーン店がいくつか思いついていたのだが、友達が提案してきたのは、まさかの食べ放題店だった。
まぁ、何か丼ものを中心に食べれれば満足かな、という思いで賛成し、行くことになるのだが、その後私は後悔することになる。
4.もう、食べ放題はこりごりだー
ここには大きな誤算がある。
まず第一に、この食べ放題店は、焼き肉中心だった。
4人座れそうなテーブル席の真ん中にコンロが置いてある。
知らない店に対して軽々しくOKを出したのはまずかったのかもしれない。
私はさんざん気を付けた匂いの問題を解決することはできなかった。
二つ目、注文の量が多すぎた。
皆様も気を付けたほうが良い。
仮にお腹が空いている人が1人でもいて、その人が注文パネルを押すのを誰かが監視しないと(できるだけお腹が空いていない人の方がいいかもしれない)、注文が止まらなくなる。
机に並ぶのは食べきれる未来が見えないくらいの量の肉。
私が注文パネルを触れるまでもなく、肉が増えていく。
肉だけではない。個々がそれぞれの欲しいサイドメニューを注文していく。
あぁ、自分が食べれる量は少ないことをあらかじめ伝えておけばよかった・・・
ド反省である。
結末は目に見えていた。
最後に肉が大量に余った皿が2皿。
これを消費するのがなかなかに困難。
こんな事で、明日の朝にかけて胃もたれでも起こしてしまえば、なんて考えたくもない。
頑張って4人で食べきったが、ここで言えるのは一つ。
もう、食べ放題はこりごりだー
ちなみに、こんな一日でも、振り返るとまあ楽しかったと感じてしまうため、私は病気なのかもしれない。
友人たちには末永く縁があってほしいものだ。
皆さんは、食べ放題店に行ったときには、節度をもって楽しんでください。
おわり。
ファッション誌を読んでみた
街行く人たちの服装を見ると、色彩豊かな花を見ている気分になる。
特に街中だと花の種類の豊かさが増す。
花を花たらしめんとするものは何だろう。
私の心を動かす直接的な要素は何なのか考えた時、それは服だと考えた。
1.服から見る風情(日常)
街に出るといろんな服があって、仕事の服やプライベートな服(家族と一緒に過ごす服や友達と一緒に過ごすための服)などあれば、季節感を感じる服もある。
とりわけ季節感を感じる服は良い。夏が来ると薄着の服を着たり、浴衣を着たり、そういう服を見ると「ああ、もうそんな季節なのか」と社会人一年目でも感じる。
これが風情と呼ばれるものなのかもしれない。
服を眺めると、その人の背景が見えてくるのも面白い。
もちろんあくまで予想の域を出ないが、この人はなんで観光スポットでスーツを着ているんだろう、この人はなんで暑い時期に長袖を来ているんだろう、という背景を予想すると楽しい。
もしかしてこの人は観光客じゃなくて従業員かもしれない、いやそれとも現地の人かな?とか、この人はここまで車で来たんだろうか、屋内のショッピングモールとかだと寒がりにとっては居心地が悪いから長袖にしているんだろうか、とか。
名前を知らない人でも、その人の服装からその人の背景が窺えるのは面白いものだ。
2.女性服について感じる事
ところで、かわいい女性服を見ると感動するのは私だけだろうか?
女性服は種類や色の組み合わせが一律ではないため、まるできれいな花を見たかのような感動を覚えてしまう。
女性は体形に合った服を選ぶのが大変だ、と家族(主に妹)から聞いた。
実際、買い物に付き合わされると時間が長くとても大変な思いをする。
しかし、その体形のパターンの複雑さが、服の種類の多様化に発展し、人で賑わう街が華やかになっていったのかと思うと女性服万歳である。
さらにいうと、女性服は流行の周期が男性服と比べ速い。
一般男性からしてみるとなぜかわからないが、流行を追っている女性の方々はホントにたくましいと思っている。
おそらく男性は「コレ!」と決めた服があればそれで十分な生き物なので服にかける時間やお金は総合的に少ないのだが、女性の流行を意識しながら自分に合った服を見繕う努力は絶対馬鹿にできないものだと思うのだ。
3.本題:女性ファッション誌を読んでみる
しかし、私が女性服に対して敏感な心を抱いているのは、見慣れてないだけなんじゃないか、とも思う。
確かに私は女性づきあいがほとんどなく、さらにインドア派を名乗れるくらいには普段家にいる人なので、女性服に目が慣れていないというのは事実であろう。
というわけで先日、私は女性用ファッション誌「non-no」を購入してみた。
これで私も女性服は何たるかを理解できるかもしれない・・・
女性服の耐性を得たい思いと、女性服への興味が合わさって、私はついに雑誌を読んでしまった。
4.【まとめ】情報量がすごかった
ここからは私が女性ファッション誌を読んで得られたものについてまとめてみる。
・何度見ても新鮮なくらいモデルや服、小物のパターンが多かった。
・雑誌のレイアウトと情報量がよかった。こういうのを何度も見るだけでプレゼンシートのレイアウトがうまくなる気がする。
・個々の写真で見るとカラフルだけど、全体通してみると色のベースは決まってる・・・?
・知らない言葉がたくさん、情報量に対して頭に入る情報が少なかった
結論から言うと、情報量が凄く多かった。
写真からの情報、その周りの文字での情報、それらをうまくまとめているページのレイアウト、見やすくて読み込めるすごい本でした。
ちなみに女性服の耐性は得られなかった。今一度見返してみても新鮮な気分で美しいと感じる。
まあ、本を読むときは何かを期待してはいけない、なんて言われるくらいですしね。
また別の視点でいろんな収穫が得られたので私としては満足だ。
女性服に感動を覚えるような男性にはぜひ一度女性ファッション誌を読んでみてはいかがだろうか、というのが個人の思いだ。
別に押すわけではないが、選ぶ際は「non-no」をお勧めする。
逆にあまり選ばないほうが良いかもしれないものに「小悪魔ageha」がある。
書店内でパラパラめくってみたが、少し刺激が強かった。
私のような人には不向きだが、これが武器になる人も一定数存在すると思うので、そういう人はぜひ買っていただければと思う。
話が変な方向に行ったが、本には未知が詰まっていることを改めて思ったいい機会だった。
このような経験は今後とも積んでいきたい。
おわり。
夜と雨と駐車場(黒い車がかっこよかった)
お盆休みの夜、私が住む地域は温度も湿度も高く、別の場所・・・軽井沢にでも行きたい気持ちであるのだが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
ところで、車の色について考えたことはないだろうか。
唐突のように感じられるが、これは今日の夜雨の中コンビニを目指して近所を歩いていた時に感じたことから始まる。
帰省しているからか、住宅街からは静けさを感じる。
明かりが点いている家は少なく、住宅の闇が町を覆っているのだが、その中取り分け目立つものがある。
それは人工物かつ、大きなもの・・・
そう、自動車である。
特に白いものは目立つ。それが良いか悪いか見当はつかないが、私の眼には黒の方が格好良く見えた。
まるで最初からあったかのように黒い車はそこにある。
町の闇と黒が一体となっているようだ。
車の陰に濃い薄いがあるのも面白い。
私の車は白いので、今度車を買うときは黒色のものを買おうと思ったのである。
車が止まっている時を想定して色を選ぶと、色を選ぶ悩みもなくなりいいだろう。
今回はここまで、おわり。