「生きてるだけで偉い」って本当なのか?いい人になりたい自分の見解
私の抱える悩みの本質はきっと、「いい人になりたいな」なんだと思う。
皆さんは、こんな経験はなかっただろうか。
人と話をしていて、相手に対して心から尊敬する機会。
誰かの書いた本や記事を見ていて、自分もこうなりたいなと感じる機会。
きっと皆さんにとっても、こういった機会は常日頃からあるだろう。
ここで整理したいのは、どうやったらそういう「いい人」みたいになれるだろうか、という漠然とした悩みである。
そしてその悩みを整理していくと、とあるうさんくさい常套句に対しての、私なりの見方が再構築できたので、その点についても最後に触れていこうと思う。
これから自分自身の見解と解決法をまとめていくので、参考にしてもらえたら何よりである。
1.「いき」な人になりたい(のではないだろうか)
皆様、「いき」という言葉をご存じでしょうか。
私はまだ20歳という平成生まれのクソガキなので、この言葉を聞いたことはあるけれど、うまく説明できない。
説明できないのに、憧れはあった。
思えば、自分が尊敬している人には共通して「いき」な心があるように思う。
他人の悩みについて真剣になれる人に「いき」を感じたし、ちゃんと本音で話し合ってくれる人に対しても「いき」を感じる。
職場の(大)先輩からは、仕事上で自分のよくないところを叱られてしまい恐縮してしまう。
しかし、その言葉の裏にある「がんばれ」という思いを感じると、うれしくてしょうがないし応じたくなる。
そんな先輩と一緒に仕事をしていると、心意気のある人だなあ、と常々思ってしまうのである。
ところで、「いき」の由来のひとつに「意気地」があるらしい。
また、「いき」という言葉はかなり民族的で、そもそも説明が難しい言語であるらしい。
どうやらフランス語のcielと英語のsky、ドイツ語のhimmelが、普遍性はあるが民族性に影響されることで絶対性はない事と通ずるらしい
(ここら辺の話は九鬼周造さんの【「いき」の構造】という本をかじってるだけなので、あえてぼかさせていただく。内容が難しいけど、ちゃんと理解して人に説明できるようになりたい)
こんなへっぽこな知識からでも気づきはある。
先ほど述べたように、自分が「いき」を説明できないのになんとなく理解していた現象に、理由を付ける事ができた。やったね。
考える余地ができたので、当面の目標を「いい人になる」から「いきな男になる」とする。
さて、まだ漠然としているこの目標を達成するにはどうすればいいだろうか。
ここから解決方法を考えていく
2.人とぶつかり研磨していく
自分の思う「いい人」とは「いきな男」だ、と仮定するとき、「いきな男」になるにはどうすればいいだろうか。
「いき」の由来のひとつに「意気地」というものがあるので、そこからヒントを得てみる。
どうやら「意気地」というものは、江戸っ子(江戸児)や江戸の花を代表する江戸文化の道徳的理想が関係しているようだ。
この「江戸の花」からヒントを得ることができそうだ。
この言葉は、寒かろうが法被一枚で命を惜しまず火消しを行う「男伊達」を尚(とうと)んだものらしい。
なるほど、自分の被害を顧みない行動が「いき」につながるのか。
私は臆病なので、自分に非があるような相談事はめっぽう苦手である。
いつも心の中に「怒られたくない」「迷惑かけたくない」といった膿のようなものが存在する。
仕事上は頑張って自分の気持ち悪い感情を押さえつけてでも、頼れる人に相談できるようになりたい。
解決方法1.「怒られるかも」と感じても勇気をもって相談してみる。
人とぶつかって、回数を重ねていけば自分の人格が研磨されていくものだと信じてる。
3.失敗を必ず経験にする
私はよく失敗する人だと思う。
ちゃんと相談してよ、と怒られたり、
車の運転事故でたくさん損したり。
この二つの失敗は、いま頑張って乗り越えようとしている事だ。
相談事については、先ほど挙げた解決方法を意識して注意されにくくなった。
車の運転事故については、もう事故しないように朝早く起きたり、目薬を用意して運転中の目の乾燥を防いだりするようになった。
実は、少し前までは失敗した事はすぐ忘れようとしていた。
それが繰り返したくさん失敗する原因になっていたのに気づいたのは最近のことである。
気づいてからは割と早かった。
失敗しないようにどうすればいいか考えて、真剣に取り組むことができれば、本来の問題を予防できるし、副次的なものも得られることに気付いた。
その副次的なものとは、運転事故の反省からだと朝早く起きることにつながるわけだが、そういったことは全部「いきな男」という理想の人格に近づくための手段だと気づいた。
ちゃんと朝早く起きたり、相談事ができる人ってかっこいいですよね。
それが自分を良くしようとして生まれたものなら、それに「いき」を見出しても良いのではないだろうか。
解決方法2.失敗したら、必ず良い経験にする努力をする
4.【まとめ】この事から「生きてるだけで偉い」という常套句を捉えなおしてみる
最近耳にした言葉で腹が立つものがあった。
「生きてるだけで偉い」
私はクソガキなので、「どこが偉いん、生きてても偉くないやつはおるやろ」と思っていた(あながち間違ってはいないと思う)。
しかし、「いい人」を目指して真剣に考えた後、この言葉にはこういった隠されたメッセージがあるんじゃないかと思った。
「(頑張って)生きてるだけで(大きな失敗したとしてもそれは)偉い」
今となっては、真剣に、全力で、頑張って生きてる人への応援メッセージに聞こえてならない。
なぜなら、その行為こそが「いい人」になるための手段に他ならないからだ。
「いい人」を目指した結果、不快に感じる言葉への考え方が変化して面白い。
ちなみに、なぜ私が「生きてるだけで偉い」という言葉を取り上げたのかについて。
それは、とある本を読んでいた時に、この言葉に対する批判を見つけたからだ。
「そういえばこの本で言ってたっけ・・・」と思い、心当たりのある本を数冊あたったが、
なかなか探すと見つからない。心のモヤモヤは残ったが、また読んだ本を読むいいきっかけになった。
しかし答えは見つかっていないので、いつか必ず誰が論じていたのか突き止めようと思う。
おわり。