過去に本を読んでた時期があるのなら、今になって何故か無性に本を読みたくなる時が来るものさ
私は今、無性に本が読みたい。
前提として、私は読書が趣味だと公言している。
しかし、愛読家なわけではない、と思う。
暇さえあれば本を読むような意識高い生活なんて送ってないのさ。
本を読む時間を一日の隙間に確保しているわけでもない。
そんな私が読書を趣味と言っているのは、たまに過ごすマイペースに本を読む時間がとても愛おしいからである。
この記事が、本の魅力に期待しつつも、少し疑いを持ってしまっているような人に届いたら幸いである。
1.読書は気の向くままに
読書は禁止されるものではない。
なぜなら、読書は人の生活になくてはならない文化的な行為だからだ。
この嘘みたいな発言は、人が文字を使い始めた当時につくられた物語が、当世まで紡がれていることが証明になっている。
逆にあまり知られていないであろうことは、読書は命じられて行うものではない、ということだ。
命じられる読書の場合とそうでない場合を比較して挙げてみる。
小学校のころ読んだ道徳の教科書は、先生に言われて読まされた内容よりも、自分で見つけて気になってから読んだ小話の方が印象的だったことを覚えている。
仕事や研究、学校の課題で、法律や数学の教科書などを読まざるを得ない時もあるだろうが、命令されて読むのと、必要だと感じて読むのでは大きく意味合いが異なる。
自分自身が心から必要に感じて真剣に読む行為はかなり人間らしいと思う。
そこには必ず日々の答えが潜んでいるので、よく観察してほしい。
そんな経験を積んでいくと読書の魅力は私が言うまでもないのだろう。
好きに読む本こそ至高なのだから。
2.本を選ぶことでなく、本を手に取ることが大事だ
「この本を読むだけで年収が今の倍になります!」
という本が仮にあったとして、あなたはその本にいくら払えるだろうか?
意地悪な質問で申し訳ない。
ここで確かめたかったことは、あなたの所持金や資産などではなく、本を選ぶ際に過度な期待をするのはよくない、ということだ。
まず、当たり前なことを疑うべきだ。
「本を読んだだけで年収が倍になる」
これほど嘘くさい文章はない。
多種多様な人、そして仕事が存在する現代で、一括りに「どんな人でも年収が倍になる」というのは不可能だと思う。
しかし、実際に年収を倍にしたい、という欲を持つのは全く不自然ではない。
そんな欲が少しでもある人に気を付けてほしいのは、その悩みを直接的に解決する本など存在しない、ということだ。
夢のような本ほど、探すだけ無駄である。
お金だけではない。資格やスキルアップなど、大小関わらず様々なな欲望が挙げられるはずだ。
本から直接的に答えを得ることは不可能である、といっても過言ではないだろう。
だから、本に過度な期待を持って選ぼうとするのは避けたほうが良い。
じゃあ、本を読む人はどうやって本に救われているのだろうか?
先ほどの話のように、「救われる本」を読んでいるわけではない。
私の答えを挙げよう。
観光中、その土地の人に「すみません、この目的地ってどこかわかりますか?」と質問する感覚を、本を手に取る際に持っている。
本・・・即ち、その土地の人が返す言葉は様々だ。
目次を見ればなんとなくわかるのだが、ある時は「ごめん!わかんないや!」と言ってくる。
ある時は「あの方向にあるよ」と具体的に教えてくれることもあるが、辿りついた先に何もないことだってある。
よくあるのが、道を教えてもらったにも関わらず、道半ばで私の体力が尽きたり、はたまた行きたい目的地が変わることだ。
本はまるで人間の様だ。
当たり前だ。本をつくってるのは人間だ。
本を読むということは、その本の著者と会話しているようなものである。
だから、本によっては明確な答えが見つかったり、見つからなかったりするわけだ。
話を本題に戻す。
本に救われるにはどうしているのか。
まず書店や図書館の本棚で本を手に取り、「目次」を読む。
「あ、この本とは気が合いそう!」と思ったが吉。
レジや貸出し受付に行き、本をいつでも好きなタイミングで読める状態にする。
そして自分のペースで読むのだ。
実際に本を読んで、「なんか違うなぁ」と思うことはよくある。
それでも、自分の悩みがはっきりしたり、悩みの解決のヒントが得られるので、手当たり次第読んでみるのは良いことだ。
読み切る必要はないので、本に「なんでもいいから教えてや」的な感覚で接してみるといいと思う。
そんな経験の回数を重ねていくと、本を手に取る前の自分からすれば救われているのが事実だ。
この人生という旅にゴールはないので、何度も挑戦してみればいいと思う。
3.【まとめ】つまり、本を無性に読みたくなる時とは
つまり、本を無性に読みたくなるタイミングが来たということは、人生という旅で迷子になっている事を感覚で理解している、と捉えることができる。
身体は、何でもいいから本を読めばマシになるやろ、と理解している。
そんな時に本棚に手を伸ばすと、大抵の場合で、今の自分にあった本が手の中にある。
やはり、経験を重ねると体は脳以上に自分の事を理解してくるのだろう。
なんだか、武士になった気分である。
やったぜ。
こうやって、日々の思いを文章に起こすだけでも気分は楽になるものなので、活字が苦手な方は試してみてほしい。
目指せもののふ。
おわり。