読書の何がいいんだろう?【博士の愛した数式/小川洋子】
皆様、思い出深い本はございますか?
【博士の愛した数式/小川洋子】は、自分が中学生の頃いろいろ気づきを与えてくれた本です。
本を読むことで何を得ることができたのか。
本記事ではこの本に焦点を当てて考えてみようと思います。
ご付き合いよろしくお願いします。
1.数字と生活の境界線がぼやける体験
このお話、難しい数学の概念がたくさん出てきます。
それもそのはず、主要な人物の一人に「博士」がいて、その人は博士号をとった凄い人だったのです。
しかし、交通事故で介護を受けなくてはいけない状態になり、家政婦のバイトをしている「母親(ルートの母親)」とその小学生の息子、通称「√(ルート)」と日々の生活を家で過ごすことになります。
その時にいろいろな数学を用いたお話をしてくれるのですが、その話が面白い。
数学の知らなかった知識を披露されて面白かったのではない。
数字への見方が特殊で、人の良さが垣間見えたのが面白かった。
最初のページをめくると、小学生に対して「√」という名を名づけるところから始まる。
それは、本人の頭のてっぺんがルート記号のように平らだったからなのだが、その時の博士の言葉が面白い。
「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」
√を話題に出しつつ、その数学的性質について単調に説明するのではなく、その√の存在がお互いを対等な関係にしてくれる力を持っている事への博士の感嘆は、数字を今までとは違った見方にしてくれる。
私の場合、見えない数学が身近に感じることができた。
数学って意外と日常的なものなんだなあ、と感じたことがある。
今となっては、数字が人の生活に大きく影響する建築設計の世界と、この話に通ずるものを感じる。
他にもいろんな数学のお話があるので是非この本を読んでみてほしい。
2.家族に血縁関係はいらないのでは
このお話は「博士」「母親」「√」の3人で進んでいくが、その本質は決して数学を勉強する楽しさを共有するようなお話ではない。
先ほど挙げたものはどちらかというと副次的に得られるもので、本質は家族の在り方についての訴えだと思う。
「博士」と「母親」「√」は血縁ではない。
しかし、本を読むとこの3人は本当の家族の様で驚かれることだろう。
この不思議な関係の中枢にあるのは「博士」の子ども好きな点と、「母親」「√」の真剣に「博士」と向き合おうと努力する点だろう。
つまり、気持ちの問題である。
一方、「博士」の親戚にあたる人も出てくる。
そちらは「博士」や「母親」「√」に対して作中では冷たく書かれている。
ここから、家族の在り方について疑問を持つようになった。
私自身、家が居づらい環境で、逆に友人の家にお世話になった経験がたくさんあるのですごく共感してしまった。
親やこどもの心持が少し変わるだけでいい家庭が生まれるんじゃないか、という疑問を持つようになった。
ここで「博士」のセリフで好きなものを一つ紹介しよう。
「子供を独りぼっちにしておくなんて、いかなる場合にも許されん。(中略)さあ、今すぐ、家へ帰るんだ」
この言葉はこれからもずっと自分の心に繰り返されることになる。
一人で待たされている子どもを見ると、いろいろ複雑な感情が襲う。
自分の妹がそういう状況であれば、何かしらかまってあげたくなるような感じだ。
3.【まとめ】数字の向こうに見えた人間模様
やはりこの本は人間関係についての本だと思う。
あくまで数字は「博士」と「母親」や「√」をつなぐための媒体に過ぎない。
しかし、数字で行われるやり取りは馬鹿にできないほど新鮮だ。
数字の向こうに優しさが見えた瞬間が、この本から得られる貴重な体験なんじゃないかと思う。
皆さんもぜひ、数字と生活の境界線がぼやける体験をしてみてほしい。
ちなみに途中で野球についての話がちょくちょく挟まれる。
私は野球については疎いので読みづらくはあった。逆に野球について多少の経験がある人が読むと読みやすいのかもしれない。
おわり。